盧溝橋も北京市内からそんなに遠くない。
私の上司のNさんにとっては、特別な場所でどうしても行きたかったと言われた。
勝手な想像だが、日中戦争が始まる頃に少年だったNさんにとって、当時の日本の戦争へ向けた雰囲気が爆発して、いよいよ戦争が始まる契機となった「盧溝橋」は、特別な場所であったと思われる。
ほとんど水が流れていないような川、ただし、かなりの川幅がある川に石橋が掛かっていた。
一つの観光地にもなっているように思えた。
当時の日中環境は、そんなに悪い状況ではなく、日本人が観光に訪れても白い目で見られることはなかったと思われるが、気付かなかったかも知れない。
私は、最近は、戦争の歴史に関する本を読んだりして、日中戦争からアメリカとの開戦などの経緯を少しは知っているが、このころはほとんど知らなかった。
一種の公園、野外博物館になっていて、戦闘機や戦車も展示してあった。
私やU君は、無邪気に戦闘機や戦車に乗ったりして記念撮影した。
今では、できないと思う。
北京の最後の日には、西太后の離宮であった「頤和園」や市内の繁華街などを回った。
なぜこの旅行についてブログで書きたかったのか?
N部長は、入社以来、直接私を育ってくれた方だった。
とても表現できないような優れた技術者であった。特に、数値解析の分野では、私が指導を受けた頃は、日本を代表するようなレベルの方だったと思う。
優秀でなかった私は、N部長の指導に答えられなかったが、なんとか会社勤めをこの頃までできたのは、N部長の指導のお陰だった。
私が、唯一、お返しができたのは、この時、N部長を「盧溝橋」に案内できたことだった。
N部長のことを記すと切りがなくなるが、勤めていた会社の記念誌に投稿した私の文章から、一部を引用する。
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仕事では、天才と思われるような能力を発揮し、かつ大変厳しい方でした。私が残業で遅くなり、翌朝会社に寄らず、直接、博多駅前のIBMのデータセンターに向かったところ、こっぴどく叱責されました。怒るとものすごく怖い顔になられることは、直接薫陶を受けた方は、よくご存知だと思います。しかしながら、仕事を離れると大変やさしい方でした。特に叱責された後は、一段とやさしくなられました。タバコを吸っておられる姿、囲碁をされている姿が思い出されます。
リーダーシップに関する本の中に、「自分を知る人が、自分の置かれた世界を、今という時の意味を感知する時、リーダーは自然発生的に生まれる」という言葉を見つけました。NOさん、AKさん、TAさんのように、誰もが認めるリーダーとは一味違うかも知れませんが、当時、未だ大半が見えていなかった数値解析の可能性を確信して「見えないものを見る旅」を成されたのだと思います。私たちは、そのフォロワーとして旅のお供をさせて頂きました。
今となれば、苦しかったことよりも、熱くかつ濃密な日々が、懐かしくかつ誇らしく思い出されます。
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