1950~2024年、田舎生まれの体験記など

イラン旅行、その4・カスピ海

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カスピ海は今回の旅行の大きな目的地の一つであった。
そこでボディ―ボードをする計画だった。
エマミさんは付いてこず、車と運転手、そして宿を手配してくれた。

テヘランからの山越えで7~8時間程度で到着すると言われたと思うが、実際は、途中で車が故障したことなどもあって、12時間以上も掛かった。
また、車からの写真が無いのは残念だが、断崖絶壁の道は危険が一杯の道だった。対向車がある時など、道の端を通らざるを得ないが、間違えば、谷底に落ちそうで、夫婦で「息子一人を残してこんな危ない旅は二度としないようにしよう」と話し合った。

運転手は、トルコ系のやさしい人、車は古いベンツだった。ベンツは途中何度も故障で停まった。その都度、運転手が修理した。

そしてやっとカスピ海のほとりのホテルに着いた。
旧王室が別荘として使っていたものを改装したとのことであった。少し古かったが趣のある建物だった。
庭は花がたくさん咲いていたし、特にオレンジの木が多く植えられており、その花の良い香りに溢れていた。
夕食にキャビアかチョウザメのフライを注文したが、両方ともなく、代わりにカスピ海で取れる魚のフライが出てきた。これは中々良かった。

次の日、いよいよ、カスピ海に入った。
運よく、昨日、低気圧が通ったようで、何とか波があった。

帰りは、同じコースをたどって、何とかテヘランまで帰り着いた。
途中、イランの最高峰のダマーヴァンド山が良く見えた。

また、テヘランでは、運転手さんの自宅に立ち寄るように言われ、お茶をごちそうになるとともにお土産を頂いた。

翌日は、ホテルにバンクバーで知り合いになったFさんが、娘さんを連れて会いに来てくれた。
Fさんは、物静かでやさしい方だった。

こうして、私たちのイラン旅行は最後に近づいた。
イラン市内では食べられなかった「キャビア」は、空港に「キャビアスタンド」があるとガイドブックに書いてあったので、期待して捜したが、ケースらしきものはあったが、置いてないとのことであった。
連れ合いに「ウソ」を言ったことになった。

当時のイランは、欧米より経済制裁を受けていたと思うが、人々は穏やかそうに見えた。
今(2024年時点)の国際情勢では、イランは欧米と完全に対立しており、心配である。

エマミさんとは、彼が帰国後も、私の職場のパソコンに時々年賀状みたいなメールが来て連絡を取り合っていたが、私が退職時に自宅のメールアドレスを伝えていなかったため、ここ15年間ほど、連絡が取れていない。

いつか、何かの切っ掛けで再度「Dr.SMR.Emami」と連絡が取れないかと希望している。

Dera Dr.Emami,

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from SAWAKI KIDERA in Japan

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