1950~2024年、田舎生まれの体験記など

バンクバーでの学会参加、その5・ロス経由で帰国、ビジネスクラスに案内される

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帰りの便も、エマミさんやM君とは別だった。
ロサンゼルスに一泊して、関空への行程だった。

バンクバーからロスへの飛行機に乗ると、景色を見たいと思い、窓側の座席を取ったはずだが、座ろうとすると、欧米系の若い二人が窓側の席に既に座っていた。
チケットの控えを出して、替わってもらおうとも思ったが、楽しそうに窓の外を見ていたりしていたので言い出せなかった。

ロスでの宿は、サンタモニカビーチの近くの高くないホテルを取った。
フロントには、きれいなインド系の女性がいた。

翌朝、計画通りに、サンタモニカビーチを目指して、ボードと水着を持って出ようとした。
ロスは、怖い街と聞いていたので、フロントの美人に、
「イズ・ジィス・ストリート・デンジャラス?」と訊いたら、吹き出して笑った。「ノー、ノー・プロブレム」ということだった。

サンタモニカビーチには、海に突き出した大型の桟橋がある。結構、海水浴客などで賑わっていた。海に入るためには、水着に着替えないといけない。小さなカフェを見つけ、そこでジュースを飲み、着替えた荷物を預かってもらえるように交渉した。

そして、海に入った。太平洋からの波は、中くらいのサイズでボディーボードをするには手頃だった。水温もサンフランシスコより高いと感じた。

こうして、この日の午後、関空へ向かう飛行に乗ろうと空港で手続きをしていた時だった。
列に並んでいると、順番に4人程度の受付カウンターのどこかに案内されている。カウンターの女性は、欧米系の人たちだっだが、一人、日系と思われる人がいた。
たまたま、その人のカウンターが空いた。

「団体客が多いので、前の方の席に案内できますが良いですか?」と言われた。そして、「搭乗案内が始まる時間の早めに来て」と言われたようだった。

アメリカの最後なので、空港内でお土産さがしなどをしていたところ、搭乗案内開始時刻に少し遅れてしまった。
搭乗口に行くと、
「先ほどの日系の女性職員が、遅かったですね。少し心配していました」と言った。
「前の方の席と言いましたが、ビジネスクラスへの案内ですよ!」と言われた。
ビジネスクラスなど、もちろん乗ったことはなかったが、座ると、直ぐにシャンパンサービスが来た。
そして、食事を豪華なものだった。
ものすごく、気分の良い飛行機の旅だった。このようなことがごくまれにあるらしい。

航空会社は、「ユナイテッドエアライン」だった。
このことから、「ユナイテッドエアライン」のファンになった。

こうして、バンクバーへの旅を終えた。
48歳の頃の一番の思い出となった。

なお、この旅の縁で、次にイランへ夫婦で行くこととなった。

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