1950~2024年、田舎生まれの体験記など

スイカ泥棒顛末記

小学校への登下校の道に片方にクヌギ林がほぼ一列で50mほど続く場所があった。クヌギ林にはハチがよく居り、襲われて逃げた経験もある場所だった。そのクヌギ林の一段上は畑になっていたようだが、入ったことはなかった。

 夏のある日、上級生から誘われたと思うが、その畑に入っていった。目的がなんだか分からなかったが小さな冒険と思っていた。

 畑の中心の方に行くと、なんとスイカ畑になっていた。スイカ畑は初めて見たように記憶している。上級生がスイカ畑の中に入って行きスイカを見つけた。スイカが実っている姿がものすごく珍しかった。

 まさかスイカを盗むとは思っていなかったが、上級生が食べてみようと言い出した。僕はそばで見ていたが、一人が石を持って来てスイカの一つを割った。スイカは赤く熟れていて、良いにおいがした。悪いことをしているとの意識は少しあったと思うが、僕らはその場でスイカをたいらげた。

 食べカスを片付けたかどうか記憶が定かではないが、ばれることはないと思い家に帰った。

 2~3日後、家で父親から話をされた。

 「スイカを盗ったか?」

 「ウン。上級生に誘われて」

 ウソはつけなかった。父親からスイカは売り物で立派な泥棒であると言われた。スイカ畑の持ち主に謝罪に行くので同行するように言われた。いつの間にか、どういう経緯か分からないが、僕らの悪行はばれていた。スイカは、ビワやカキの盗み取りとは一段も二段も上の悪行で、子供のイタズラではすまないということが理解できた。

父親は、次の日、僕を連れてスイカ畑の持ち主の家の謝罪に行った。お詫びに「カステラ」を持って行ったことを覚えている。当時の僕の田舎では、最上級クラスのお菓子だったと思う。

 お詫びに行った時の細かい様子は記憶が薄いが、父親に促されて、相手に「すみませんでした」と言ったと思う。何度も書くが、カステラを持って行ったことは忘れられない。また、この事件は、今でも上の弟もよく覚えているとのことで、小さい頃の我が家の一大事件だった。

 なお、僕の田舎の島では、当時はスイカを作っている農家は少なく、対岸の佐賀県の方から船でスイカ売りが来ていた。僕は7月生まれだったので、誕生日のお祝いは「スイカ」、上の弟は5月生まれで、誕生日のお祝いは「ピースご飯」、下の弟は8月生まれでやはり「スイカ」だった。スイカは貴重品だった。

小玉スイカの子供(2024年初夏、自分の菜園)
小玉スイカの子供(2024年初夏、自分の菜園、盗んだスイカは大玉だった)
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