1950~2024年、田舎生まれの体験記など

音楽の思い出、その6・『バングラデッシュ・コンサート』そして吉田拓郎と井上陽水の登場

大学生になった頃には、ビートルズは解散していた。メンバーそれぞれが独立して活動し始めたと思うが、ジョンやポールと比べると、少し目立たなかったジョージ・ハリソンの『バングラデッシュ・コンサート』の日本でのアルバム発売は、1972(昭和47)年である。大学3年の頃だった。このアルバムには、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などの名曲の数々が収められており、私ととしては、ジョージを見直すきっかけとなった。このコンサートでも、リードギターはエリッククラプトンが引いていたとのこと(ウィキペディアで確認)。

一方、日本では、フォークソングの中から「吉田拓郎」が登場してきた。彼は、それまでの日本のフォークシンガーと比べて、音楽性も良かったが、メッセージ性がより個人的なことに向けられていて新鮮だった。
作詞、作曲も自分でした歌が多いが、最大のヒット曲となった『結婚しようよ』もそうである。
ただし、『旅の宿』など名曲の中には、作詞は作詞家の「岡本おさみ」のものもある。『襟裳岬』も曲は拓郎で、詞は「岡本おさみ」だ。

拓郎の曲のコード進行は比較的簡単だったので、私でも何とか弾けた。
今思えば恥ずかしい話だが、髪を伸ばして、研究室の宴会などでギターを弾いて歌っていた。その頃から、さっぱりギターも上手くなっていないのは、練習不足も一因かも知れないが、「向いてはいない」ということだと思う。
恥ずかしいが、当時の写真が残っていた。

少し遅れて売れ出した『井上陽水』は、直ぐ下の弟から教えてもらったと思う。最初の頃は、拓郎の方が好きと思っていたが、音楽性、歌詞の深みなど、陽水はまた一歩進んだように思えた。

下宿していた当時、夕食のために通っていた食堂に、きれいな姉妹がいて、姉か妹かは忘れてしまったが、陽水の『白い一日」の歌詞の
「まっ白な陶磁器をながめては 飽きもせずかといって触れもせずそんなふうに 君のまわりで僕の一日が 過ぎてゆく」
がぴったりだったとの記憶が残っている。

話は元に戻り、ややこしくなるが、その頃、映画『旅の重さ』を観た。一人の女の子が四国を旅するという映画だが、主人公役の「高橋洋子」がまぶしかったことと、自分も四国を一人で旅してみたいと思った。この映画に、拓郎の初期の名曲『今日までそして明日から』が使われていた。

『旅の重さ』での『今日までそして明日から』の動画が、ユーチューブにあった。

                ・・・・・Bing 動画

井上陽水は、『白い一日』よりも、忌野清志郎との共演の『帰れない二人』の動画が素晴らしいので、こちらをどうぞ。・・・・・Bing 動画

バングラディッシュコンサートの時の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は、こちらです。
   ・・・・・Bing 動画

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