1950~2024年、田舎生まれの体験記など

JS上海の思い出

1998(昭和63)年(36歳の頃)、技術士建設部門の「土質及び基礎」で何とか合格できたことをきっかけとして、会社の上司より、地盤工学会九州支部の幹事として活動をするように勧められた。

最初の頃は、業務外のことなので会議などに適当の出席する程度の活動で良いと自己判断し、時には会議などもさぼっていたが、さぼっていたことがばれて、推薦した上司よりこっぴどく叱責を受けた。そして、これは業務外ではなく業務の一環なのだと思うようになった。

それから、九州支部が全国に先駆けて実施していた「IS九州(地盤補強土に関する国際シンポジウム)」の第2回目開催(1992(平成4)年)頃からは、その実行委員に参加させてもらうなどの活動も行った。

国際会議の雰囲気が少しは分かり、その重要性を理解し始めた頃、九州支部主催の国際活動として、JSシリーズが始まった。九州支部と東アジアの地盤工学技術者との連携を深めるという趣旨の活動である。もちろん、大学の先生らの研究者が中心での活動であったが、民間技術者の参加も歓迎されたので、その第1回として、1997(平成9)、上海の同済大学で行われた「JS上海」に参加させて頂いた。

論文は、技術士の経験論文としても書いた「軟弱地盤上の高盛土の計画から計測管理まで」である。

論文は、日本語で書いたが口頭発表は何とか英語で実施したという記憶がある。英語での質問には、日本人の先生方に通訳していただいて、何とか終えたと思っていいる(中国人らの研究者に通じたかは不明)。

夜は、たまたま少し前に、家族旅行で上海を訪れていたので、中心街での海鮮料理などを案内できたと思う。友達のYさんに喜んでもらったと勝手に思っている。

JS上海に投稿した論文の1枚目(日本語で書いても受け付けてもらえた)

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