1950~2024年、田舎生まれの体験記など

ヒワ盗み

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父は、小学校の事務職員であったため、僕の家族は町営住宅に住んでいた。母の実家は、半農半漁の家であり、その家に遊びに行けば、売り物以外は、たいていの果物などがもらえたが、小さい子供の足では歩いて行けないくらい離れていた。

 僕らの集落は、炭鉱関係者、学校や役場に勤めている人が多かった。農業をしている人はほとんどいなかった。しかし、1~2kmくらい離れている隣の集落では、農業をしている人が未だかなりいたと思う。

 僕らは、時々、友達と隣の集落付近の野山や段々畑などに遊びに行っていた。

 梅雨が近づいて来た頃だった。
 「あっ! ヒワが熟れている」
 僕らは、山あいを切り開いた段々畑にところに来ていた。シマコブを探していたか、他の目的があったかは定かではない。いつの間にかヒワが黄色く色づいていた。

 僕の田舎では、実が丸く、小さいものが「ヒワ」、実が細長く、大きめのものを「ビワ」と呼んでいた。ビワは売り物にもなるが、ヒワは売り物にはなっていなかったと思う。

 他所の土地の「ビワ」を盗むのはかなり悪いことと思っていたが、「ヒワ」であれば少しくらいは良いかと思っていた。僕らは、辺りの人がいないか見定めて、ヒワの木に近づき、登って盗りだし始めた。その時、

 「こらぁ、なんばしよるか!」
 大きな怒鳴り声が聞こえた。僕らはものすごく驚いて慌てた。

 「逃げろ!」
 一斉に段々畑の横にある小道を下って逃げた。後を振り向くと大人が追ってきた。僕らは、もう余裕がなくなった、小道を下るのではなく、段々畑を飛び降りて逃げた。

 ヒワは売りものにならないはずなのに、そんなに真剣に怒らなくても良いのにと思ったが、怖かった。

 この事件の後から、ヒワを盗むことは止めた。

 今は、亡くなった父が建てた実家の庭に立派で大きな実を付けるビワの木があり、毎年楽しむことができているし、その種から育った苗を糸島の畑に植え、今では、実を付けるようになっている。

ビワの実。ヒワの実はこれより小さく、丸かった。
ビワ(ヒワは、これよりも小さくて丸いものをそう呼んでいた。実家近くで2024撮影)

 


 

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