1950~2024年、田舎生まれの体験記など

糸島の海・里の紹介

連れ合いの里は、糸島市志摩(旧前原市志摩町)である。結婚したのが、1977(昭和52)年であったので、その頃から糸島市の主に、海岸近くを散策するようになった。

ボディ―ボードを始めたのが、1995(平成7)年だったので、その頃から本格的に糸島市を定期的に訪れるようになった。勝手に、芥屋の大門は、福岡のダイヤモンドヘッドだと思っている。

ボディボードを始める前は、大口海岸の岩場で魚釣りをしていた。また、海岸近くの丘に登って、山菜のタラの芽や野イチゴを採っていた(その当時は、信じてもらえないかも知れないは、人が少なく、他人の土地に侵入しても山菜採り程度は咎められなかった。今は絶対駄目)。

育った、長崎県北松浦郡福島町(現・松浦市福島町)の海は、内海だったので、干潟の景観が主だったなので、日本海側特有の美しい海岸線と砂浜の景観は、いつも感動しており、今でも見るたびごとに感動する。

今では、糸島市の海や山は、すっかり全国的に知られるようになったが、自分なりの見方でその素晴らしさを伝えたいと思う。

糸島市の幣の浜の景色。手前は幣の浜の東端。遠くが芥屋のサーフィンのメインポイント。芥屋の大門も見れる。
糸島市の幣の浜の景色。手前は幣の浜の東端。遠くが芥屋のサーフィンのメインポイント。芥屋の大門も見れる

タイトルとURLをコピーしました