1999(平成10)年5月、友人のエマミさんのお誘いがあり、夫婦でイランを訪問することとなった。私は、ボディ―ボードが趣味なので、イランのインド洋側には波があるはずなので、そこへ案内してくれるのであれば行くと答えた。
彼は、少し調べて、インド洋側はサメが出るので誰も海へは入っていないと言った。それでもあきらめきれないので、地図を見るうちに、カスピ海での波乗りの可能性があると判断した。カスピ海の大きさは、日本海の約3分の2だ。運良く低気圧が通れば、波が立つはずと考えた。
イランへは、クアラルンプール経由でテヘランへ入り、エマミさんの実家のある砂漠の真ん中の都市「ヤズド」なども訪問した。
カスピ海へは、テヘランから険しい山越えの道を通って行けるが、運転手と車を手配するので、一緒には行かないと言った。運転手はトルコ系の人。車は古いベンツだった。旅行の話は別途紹介したいが、幸いにか、かろうじてか、12時間掛かってカスピ海の南端の町までたどり着いた。
止まったホテルは、旧王室の別荘地ということで、庭のオレンジの花の香が素晴らしかったこと。キャビアまたはチョウザメのフライを注文したが食べられなかった。その代わり、カスピ海産の魚のフライを食べた。これは、良い味だった。
ホテルで1泊した後、直ぐにビーチまで行った。エマミさんのお父さんから、カスピ海は水の中に、枯れた木が飛び出している場所が多く、注意が必要とのアドバイスを得ていた。
運良く、1日前に低気圧が発生しており、何とか波乗りできる程度の波があった。
運転手は、トルコ人の優しい男で、山越え中、何度もエンストしたベンツを修理しながら僕らを連れて来てくれた。帰りには、彼の自宅に招待された。
帰りには、イランで最も高いダママンド山がきれいに見えた。
カスピ海で波乗りした人は少ないとおもうので、この経験も私の自慢話の一つとなった。