1950~2024年、田舎生まれの体験記など

竹林整備のきっかけ

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連れ合いの父は、結婚した頃は、ミカン栽培を中心に生計を立てられていた。ミカン畑の場所は、糸島市の桜井神社に近い急斜面だった。そこで、ミカン収穫の手伝いをしたこともあったが、義父は、私たちの結婚後、急逝され、ミカン畑の世話をする人がいなくなった。

世話をせずとも、10年近くは、ミカンが獲れていたし、上の方には「味の良いビワ」があったので、季節ごとに時々夫婦で行っては、果物を楽しんでいた。しかし、仕事に追われ、私たち夫婦は、その場所に行きことは無くなった。

連れ合いが、50歳半ばで早期退職し、その竹林の一番下の位置で、野菜づくりを始めた。もう、そこ頃は、ミカン畑には、上の段のほとんどには孟宗竹が侵入し、野菜畑直ぐ上の下段には、真竹が生い茂っていた。びっくりする程の侵入速度である。

一方、私は、(一社)建設コンサルタンツ協会九州支部の「夢アイデア活動」の一環の「共助研活動」で、大分県の豊後大野市犬飼町に「柴北川を愛する会」の方々との交流により、竹林整備のノウハウを少しだけ学び、竹林整備に興味を覚えだした。

こうして、2014(平成26)年の頃から、竹を切ったり、タケノコを掘るようになった。

畑の上の竹林の整備。タケノコも掘っている。
竹林整備とタケノコ掘り(2024(令和6)年春)

動画でも少し紹介したいと思います。
・・・・・https://youtu.be/wKtGoBb0Mpw

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