私は、仕事以外に本当にやりたいことを始めようと思っていた。
40歳の半ばを迎えていたが、順調過ぎた会社生活で大きな壁に当たっていた。そのせいで、体調不良も感じていた時期だった。
状況が少し安定して来たころ、会社からの帰路、自分の本当にやりたいことは何かを考えていた。そして、昔からのあこがれであった「サーフィン」を始めたいと思った。連れ合いの実家が志摩町(現在の糸島市志摩)であったので、大口海岸などでサーフィンをしていた様子は、何度か見たことがあったし、元々、海の傍(現在の長崎県松浦市福島町)で育ったので、泳ぐことは得意だった。
そうして、志摩町の「コロニーサーフショップ」を思い切って訪ねた。
店のオーナー(女性)は、私のひ弱そうな体を観察した結果なのか――本当のことは分からないが、サーフボードを薦めず、店に飾ってあった「ボディーボード」を試しては?と言った。腹ばいで波に乗るツールだが、比較的簡単なので、これを試してみて、満足できなかったらサーフボードに替えれば良いとのこと。
こうして、私のボディーボード物語が始まった。
1995(平成7)年の6月、45歳の誕生日を迎えようとしていた頃だった。