朝、窓を開けるとスラバヤ市街が眼下にあった。高層のビルディングも見えるが、オレンジ色の瓦の低層の家並みが広がっており、美しい風景だった。そして、あちこちのモスクの塔が見えました。
今日の計画は、中国人街やアラブ人街があるとガイドブックに書いてあった「旧市街」の見学である。雨季であり、小雨が時折降るが、ホテルから4km程度であるので、連れ合いの了解の下、歩いて旧市街を目指すことにした。
その前に、銀行で両替をしようとし、2つばかりの銀行で尋ねたが、ホテル近くの「トンジュンガン・プラザ」の両替屋を紹介された。スラバヤは観光都市ではなく、どこでもは両替できないようである。そこで、途中でまずは両替を目指して、少し引き返すこととした。
元来た道を引き返せば良いが遠回りになるので、2回程、道を横断することになった。一つ目は、信号がある道路を横断したが、二つ目は、信号がない道を現地の方が横断する方法を真似て、思い切って横断した。息子が「気を付けて、気を付けて」と何度も言ってくれていたので怒られるかも知れない。
両替を済ます頃には、疲れてしまったので、「歩き」は、完全にあきらめてタクシーで旧市街の入り口を目指すこととした。
「ブルーバードタクシー」の若い運転手に「中華街の入り口のキャキャ門」まで行って欲しいとお願いした。そして、そこで降ろして欲しいと言ったが、どうも「あまりそこで降りて歩きまわるのはお薦めしない」と言っているようであった。窓から見ていると、連れ合いも「降りたくない」と言い出した。
この辺りの車から見えた景色は、こちらの動画を見てください。
・・・・・https://youtu.be/ZWTIj_nHeIA
運転手さんのお薦めは、アンペル・モスクで、そこならば、降りて回ってくると良いと言っているようである。歩いて目指すことにしていた場所なので、そうすることとした。駐車スペースが狭い場所であったが、この辺りで待っているとのことで、入り口で降ろしてくれた。
二人でモスクまでの小道(参道)を歩いた。両側には、小さなお店がたくさんあり、興味深々の場所であった。
5分程度か歩いて、モスクの玄関の小さな広場までたどり着き、モスクの中を覗いたりしていると、モスクの中の方から来た老人から「中に入るのは遠慮して欲しい」と止められた(後で、学会で一緒だった先生のお一人から入れたと聞いて驚いた)。
外で写真を撮っていると、子供たちに囲まれた。一緒に写真を撮ろうという雰囲気になり、写真を撮った。子供たちは裕福ではなさそうだったが、目がイキイキしていた。
この辺りの動画は、こちらです。
・・・・・https://youtu.be/NDHBcJwkSQI
もと来た道を引き返すと、少し時間が経っていたので、運転手さんが心配そうに待っていてくれた。無事生還という気持ちになるくらい、少しレアな小道・経験だった。この時は、観光客らしい人が他にいなかったこともあったので、「ミニ冒険」という雰囲気があった。タクシーに乗ってホテルに帰ることにしたが、乗れて時安心した。
運転手さんは、とても親切であった。私の計画では、この近くのインドネシア料理店でランチと思っていたが、ランチは、ホテルの中華レストランで「飲茶」と連れ合いと話して予定を変更した。この「飲茶」はすばらしかったので、食事編で紹介したい。
食事後、計画していた「動物園巡り」に再びタクシーでホテルを出た。ホテルからは旧市街と反対の南方向(山方向)にあるはずである。「コモドオオトカゲ」と「オラウンター」が見たかった。
中は広大で、少し遅い時間帯であったので人は多くなかった。チケットを買って入り、もらった地図を頼りに「コモド」を目指した。「コモド」は、私たちが入ったメインの入り口近くに居たので、比較的簡単に観れた。
次に、オラウンターを目指したが、これは難しかった。何度も、動物園の職員らしい人や見学者に教えてもらったが、中々辿りつけなかった。小雨が降っていたが頑張って探し、やっとその場所まで着いた。
しかし、もうゲージの内側に入っており、その姿を見ることができなかった。後で、他に見に行った人の話を聞くと、午前中の「餌やりタイム」などでは十分観れるとのことであった。残念である。
閉園タイム(16時)も近づいてきたので、元来た「入り口=出口」を目指したが、これが分かりにくい。必死で感を働かせたり、人に訊いたりして、やっと「出口」に戻れた。一安心である。
これからが、本当の貴重な経験の始まりとなった。
ゲートの門番らしい、若い現地の方に「ブルーバード」を呼んで欲しいと言ったが通じない。グーグル翻訳を使ったが上手く使えなかった。「ブルーバードを観たいなら動物園に戻れ」と言っているようであるが、「閉園の時間」である。意思疎通を何とか続けていると、「賢そうな女性」が近づいて会話の中に加わってくれた。
この人たちは、「ブルーバード」ではなく、「ブルーバード・タクシー」を読んで欲しいと言っているのだと仲介してくれた。そして、二人で相談しながら、タクシー・アプリか何かを使ってタクシーを呼んでくれるとのことであった。この場所は「ブルーバード・タクシー」を呼べるエリアではなく、他のタクシー会社で良いかと言われた(言われたようであった)。「ブラックバード・タクシー」でも良いと思った。
彼女は、「現地のお金」を持っているかと尋ね、私はサイフを見せて「100,000ルピア紙幣=1,000円」を見せた。そうすると、そんな大きな紙幣は要らないと、「10,000ルピア紙幣」を私のサイフから2枚つまみ出して、これで十分と言った。タクシーが来ると、タクシーまで案内してくれて、ドライバーにホテル名を告げ、この金額で行ってくれてと伝えてくれた(伝えてくれたようだった)。
こうしてピンチを脱出することができた。この二人の写真がないのは残念である。
この出来事で、少しインドネシアを怖がっていた連れ合いは大感激し(私も)、すっかりインドネシアが大好きになった。素晴らしい経験であった。
「強くなくては生きていけない。やさしくなくては生きている資格はない」という言葉を夜のベッドで思い出した。
明け方、3時頃からホテルの窓の方からから聞こえてくる「アザーン」がひときわ身に染みた。