手元にある大江健三郎のこの『日常生活の冒険』の文庫版の初版は、1971(昭和46年)となっているが、友達に教えてもらったのは、この年の少し後だと思う。
誰に教えてもらったのか思い出せない。
大江健三郎のファンではなかったが、この本は、当時の私の心境の一部に合致していたのか気に入った。
一番印象に残っているシーンは、主人公がユニークな友人の「斎木犀吉」に誘われて、スエズ戦争に義勇軍として参加を決め、その旅費を調達するために、主人公の祖父に支援を仰ぐため、列車で四国に向かうシーンである。
二人で周囲に憚られるような様々な話をする。ほぼ一方的に話をするのは、犀吉の方だ。話の内容も当時の私には刺激が強い内容ではあったが、二人が飲むウィスキーの描写だ。当時、高級品だった「ジョニ黒」を飲んでいるのだが、スッコッチウィスキーは、「木苺」の香がすると書いてあったことだ。
私は、酒には強くないが、社会人になってスナックなどに行ったおり、スコッチを飲んだら、必ず木苺の香が本当にするか必ず試しに嗅いでいた(あまり、そのようにきちんと感じたことはなかったと思う)。
次に、犀吉が、主人公に動物図鑑の哺乳綱篇を引用しながら、「二十世紀後半の人間は、生きる目的が異ならないので、構成的相違の品種が少ない」などど説明しながら、「おれは自分流に、この日常生活の世界を冒険的に生きようとしている、そしてきみをコーチして一緒に冒険させてやるよ。・・・」と主人公を誘う部分も影響を受けた。
犀吉は、「ぼくらの時代の若い日本人にはめずらしく、つねに根本的なモラルについて瞑想している青年だった」との表現もある。
こうして、主人公は、犀吉に誘われて「日常生活の冒険」の旅に出るのだ。
具体的な冒険の内容は、ぜひ読んでのお楽しみにしていただきたいが、この本では、ゴッホやオーデンの詩が度々引用されている。この本で初めて知ったが、今でも印象に残っている。
例えば、ゴッホが弟にあてた手紙の中の詩は、
死者を死せりと思うなかれ
生者のあらん限り
死者は生きん 死者は生きん
そして、本の最後の紹介されている、犀吉から主人公に宛てた手紙の中では、オーデンの詩の一節、
危険の感覚は失せてはならない。
道はたしかに短い、また険しい。
ここから見るとだらだら坂みたいだが。
を引用して、
「それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ、錘のような恐怖心からのがれて」
で締めくくられている。
古い本ですが、色あせていないと思うのでご一読ください。
ちなみに、最近知ったことであるが、犀吉のモデルは「伊丹十三」で義兄とのことで、若い頃から親交があったということである(この辺りのことは、私のヨーロッパ旅行記でも少し触れている)。