手元にある「筑摩叢書、水口志計夫訳」の『コン・ティキ号探検記』は、1969(昭和44)年に出版とされている。大学入学の年である。北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』が、1960(昭和35)年に出版されているので、最初にそっちの方を読んだかも知れない。こちらは、大学生の頃に読んだはずだ。
コン・ティキ号の探検が成されたのは、1947(昭和22)年、ヘイダールによる『コン・ティキ号探検記』が出版されたのが、翌年の1948(昭和23)年とされている。日本語訳の本は、『コンティキ号漂流記』として、1951(昭和26)年に出されている。
探検が成されたのも、本は書かれたのも、第二次世界大戦からまだ時間が経っていない時代だ。
あらすじを紹介する記事ではないが、「筏に乗って、6人がペルーから太平洋を横断してタヒチ島近くまで、約100日間掛けて辿り着き、南太平洋に住むポリネシア人のルーツを確かめようとした挑戦を物語風に書かれた本」である。
最初に読んだ頃は、以下のようなシーンの印象が強く残っていた。
①筏の上にトビウオがいつも落ちてきており、それを拾って、食糧や釣りの餌にしたこと。労せず、魚を得るところが凄い、うらやましいと思ったのかも知れない。
②夜、筏の周りの海で不気味な大きな目や光、不気味な物体(サメ、クジラ、ジンベイザメ、大型のイカやタコ?)が見えて、怖かったことが書かれていたこと。
③サメを釣り上げて遊んでいたこと。
④嵐との戦いよりも、無風の中、太平洋の真ん中で筏の周りをサメに注意しながらも、泳いだりして、すっかり楽しんでいたこと。
ーーーなどなどである。
今、読み返してみると、探検の動機、探検実現のための様々な交渉の経過、筏の基礎となるペルーでの「バルサ材」の伐りだし、最初の嵐を乗り切ったシーン、筏の上での生活の模様、サンゴ礁に座礁しあわや死にそうになったこと、無人島に辿り着き、ついにはポリネシア人の人たちから大歓迎を受けることなどなど、実に興味深いことがたくさん、しかもユーモラスに書かれている。
小中学校時代の読んだ、各種漂流記のノンフィクション版かも知れない。
今や、ジンベイザメは水族館で見ることができるし、南太平洋の美しい景色も動画など見られるし、その気になれば、南太平洋の島々への旅行で行くことができる時代である。
しかし、初めて読んだ頃は、文字で書かれているシーンを想像だけであったが、十分に楽しめた一冊であった。
参考情報だが、ネット上に映画の予告編が公開されていた(まだ観ていない。ビデオサービスを捜して観る予定である)。
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