1950~2024年、田舎生まれの体験記など

音楽の思い出、その7・キャロルキングを教えてもらった

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大学の3~4年生(1971~1972年)の頃、私の友人二人が同じ下宿に住んでした。
その内の一人、Y君は、私よりビートルズのレコードを持っていた。しかも、アルバムで持っていた。下宿に遊びに行って、ビートルズの曲をリクエストすると、掛けてくれた。

大学時代の至福のひと時だった。

彼は、鹿児島の出身だったが、実家にも遊びに行った。その時は、開聞岳にも登った。 その時の写真が残っていた。

彼は、ビートルズ以外のレコードを持っていたが、その一つがキャロルキングだった。

「イッツス・トゥ・レイト」が日本でも流行っていたと思うが、名アルバム「つづれおり」を持っていた。その中から、「ユゥヴ・ゴッタ・ア・フレンド」を教えてくれた。

「冬、春、夏、秋でも、いつでも必要な時は、直ぐそばに行きよ。君は友だちを得た・・・」と美しいピアノのともに歌っていた。

彼は、私より大人で、私が一方的に頼りにさせてもらった場合が多かったと思うが、数少ない友人と言える男だった。1975年、私がヨーロッパに旅発つ時は、既に社会人になって東京で暮らしていたが、同じ下宿に住んでいた、もう一人の友人K君と一緒に、見送りのため東京で会った。

それ以後、私たちの結婚式など会う機会もあったが、彼は、海外業務が多かったので中々会えなかった。

彼がインドネシアで仕事をしていた頃、一度、遊びに行こうと夫婦で話したことがあったが実現しなかった。

数年後、病没したことを知った。 「ユゥヴ・ゴッタ・ア・フレンド」は、「つづれおり」ではなく、少し時間が経ってからのコンサートでの動画があったので紹介したい。歌詞が付いている。
・・・・・彼は、ビートルズ以外のレコードを持っていたが、その一つがキャロルキングだった。

「イッツス・トゥ・レイト」が日本でも流行っていたと思うが、名アルバム「つづれおり」を持っていた。その中から、「ユゥヴ・ゴッタ・ア・フレンド」を教えてくれた。

「冬、春、夏、秋でも、いつでも必要な時は、直ぐそばに行きよ。君は友だちを得た・・・」と美しいピアノのともに歌っていた。

彼は、私より大人で、私が一方的に頼りにさせてもらった場合が多かったと思うが、数少ない友人と言える男だった。1975年、私がヨーロッパに旅発つ時は、既に社会人になって東京で暮らしていたが、同じ下宿に住んでいた、もう一人の友人K君と一緒に、見送りのため東京で会った。

それ以後、私たちの結婚式など会う機会もあったが、彼は、海外業務が多かったので中々会えなかった。

彼がインドネシアで仕事をしていた頃、一度、遊びに行こうと夫婦で話したことがあったが実現しなかった。

数年後、病没したことを知った。 「ユゥヴ・ゴッタ・ア・フレンド」は、「つづれおり」ではなく、少し時間が経ってからのコンサートでの動画があったので紹介したい。歌詞が付いている。
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