
2回目のハワイ、その2・ノースショア
ホノルルに引き返し、大きな目的地であったノースショアを目指した。パイプラインが有名だが、入りには素人には無理と分かっていた。 ボディーボードの入門ビデオの「バナナスピリッツサンデー」の情報から、エフカイビーチに行くことと […]
ホノルルに引き返し、大きな目的地であったノースショアを目指した。パイプラインが有名だが、入りには素人には無理と分かっていた。 ボディーボードの入門ビデオの「バナナスピリッツサンデー」の情報から、エフカイビーチに行くことと […]
1995(平成7)年年末、再びハワイを訪問した。1年半ほど前に、ボディ―ボードを始めていたので、有名なオアフ島のノースショアへ行きたいと思っていた。そこへの訪問だけだと家族旅行にならないので、下調べをして、前半はマウイ島 […]
足を伸ばして、対岸のジョホールバルへも行った。マレーシア領である。シンガポールと比べると、古い建物が多く、またマレー文化の街であることが感じられた。なお、マレーシアには本格的に滞在した経験はないが、1995年の5月、イラ […]
1994年(平成6)年、5月、夫婦でシンガポール、ジョホールバルを訪ねた。息子は忙しいのか、この時は付いてこなかった。何故、シンガポールを選んだのか? 今思い出そうとするが、はっきり思い出せない。当時も人気観光地だったな […]
息子が4歳になって直ぐの頃、1983年(昭和58)年の春だったと思う。その頃、勤務先の組合活動の繋がりで四国・高松へ行った経験があった。美味しいうどんや栗林公園の見事さなどから、家族を四国へ連れて行きたいと思った。 未だ […]
上海雑技団のチケットが確保できた。 3人で並んで観た。様々な出し物が用意されており、楽しかった。テレビで見たことがあったが、本物を観たと思った程度で、それ以上の感激はなかったように思う。 息子の感想は聞いていない。 再び […]
1995(平成7)年の5月、3人で上海へ行った。この頃からか、息子は家族旅行に次第に付いて行きたがらないようになってきたと思われる。それでも、上海雑技団を観るなどと誘い、一緒に行くことになった。 私は、有名な豫園の見学と […]
盧溝橋も北京市内からそんなに遠くない。 私の上司のNさんにとっては、特別な場所でどうしても行きたかったと言われた。勝手な想像だが、日中戦争が始まる頃に少年だったNさんにとって、当時の日本の戦争へ向けた雰囲気が爆発して、い […]
万里の長城は、北京市内から少し距離がある。時間は限られているし、タクシー料金は高くないことが分かったので、タクシーをチャーターすることとした。日本語が話せる運転手をリクエストしたが、来た運転手は、日本語も英語も話せないと […]
空港には、ホテルまで案内してくれる中国人のガイドが迎えに来てくれていた。ただし、到着ロビーはごった返しており、見つかるまで時間が掛かった。 ホテルまでのバスの中で、ガイドのAさんと、多分、日本語で話をした。「一日の報酬は […]
1994(平成6)年10月、初めて中国に行った。 今の会社員の方は信じられないかも知れないが、当時はほとんど会社には慰安旅行というものがあり、会社の補助と自分たちの積み立てを資金としていた。 その年の秋には、会社内の大き […]
梅雨が明けると急に空気が澄んで、糸島市志摩の海は、特にきれいになる。別記事に書いたが、レストラン・カレントよりの朝の海の眺めが抜群だった。 この少し高台からの眺めは、カレントを利用しないと観れないが、眺めだけでも見る価値 […]