1950~2024年、田舎生まれの体験記など

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シンガポール、その2・ラッフルズホテル他

足を伸ばして、対岸のジョホールバルへも行った。マレーシア領である。シンガポールと比べると、古い建物が多く、またマレー文化の街であることが感じられた。なお、マレーシアには本格的に滞在した経験はないが、1995年の5月、イラ […]

シンガポール、その1・飲茶やセントサ島

1994年(平成6)年、5月、夫婦でシンガポール、ジョホールバルを訪ねた。息子は忙しいのか、この時は付いてこなかった。何故、シンガポールを選んだのか? 今思い出そうとするが、はっきり思い出せない。当時も人気観光地だったな […]

息子が幼いころの四国旅行(忘れ物事件他)

息子が4歳になって直ぐの頃、1983年(昭和58)年の春だったと思う。その頃、勤務先の組合活動の繋がりで四国・高松へ行った経験があった。美味しいうどんや栗林公園の見事さなどから、家族を四国へ連れて行きたいと思った。 未だ […]

上海、家族3人で・上海雑技団など

上海雑技団のチケットが確保できた。 3人で並んで観た。様々な出し物が用意されており、楽しかった。テレビで見たことがあったが、本物を観たと思った程度で、それ以上の感激はなかったように思う。 息子の感想は聞いていない。 再び […]

上海へ家族3人で・豫園と南洲饅頭店

1995(平成7)年の5月、3人で上海へ行った。この頃からか、息子は家族旅行に次第に付いて行きたがらないようになってきたと思われる。それでも、上海雑技団を観るなどと誘い、一緒に行くことになった。 私は、有名な豫園の見学と […]

初めての中国・北京、その4・盧溝橋とNさんの思い出

盧溝橋も北京市内からそんなに遠くない。 私の上司のNさんにとっては、特別な場所でどうしても行きたかったと言われた。勝手な想像だが、日中戦争が始まる頃に少年だったNさんにとって、当時の日本の戦争へ向けた雰囲気が爆発して、い […]

初めての中国・北京、その3・万里の長城

万里の長城は、北京市内から少し距離がある。時間は限られているし、タクシー料金は高くないことが分かったので、タクシーをチャーターすることとした。日本語が話せる運転手をリクエストしたが、来た運転手は、日本語も英語も話せないと […]

初めての中国・北京、その2・ガイドとの交渉と天安門・紫禁城

空港には、ホテルまで案内してくれる中国人のガイドが迎えに来てくれていた。ただし、到着ロビーはごった返しており、見つかるまで時間が掛かった。 ホテルまでのバスの中で、ガイドのAさんと、多分、日本語で話をした。「一日の報酬は […]

初めての中国・北京、その1・概要

1994(平成6)年10月、初めて中国に行った。 今の会社員の方は信じられないかも知れないが、当時はほとんど会社には慰安旅行というものがあり、会社の補助と自分たちの積み立てを資金としていた。 その年の秋には、会社内の大き […]

糸島・野北の夏の海

梅雨が明けると急に空気が澄んで、糸島市志摩の海は、特にきれいになる。別記事に書いたが、レストラン・カレントよりの朝の海の眺めが抜群だった。 この少し高台からの眺めは、カレントを利用しないと観れないが、眺めだけでも見る価値 […]

小波でのロングボードの練習(継続は力)

シニアになると、体が重くなるのは仕方がないだろう。 サーフィンのためには、筋力、心肺能力、俊敏さ、バランス力などが欠かせない。そのすべてが、年を取ってくると衰える。これは自然の摂理であろう。 ただし、テレビなどで元気な老 […]

カレントからの海の眺め

2024(令和6)年7月27日、本日は、未だ酷暑が続くそうだ。 久振りに、カレントで朝食を食べることとなった。少し前はよく行っていたが、コロナ禍の少し前から足が遠のいていた。 カレントからの眺めは抜群なのは知っていたし、 […]

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