1950~2024年、田舎生まれの体験記など

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大口海岸での奇跡ーー笑顔の復活ーー

ボディーボードを始めた年(1995年、45歳)の秋口だったと思う。連れ合いの実家は糸島町桜井(現在の糸島市志摩桜井)に在ったので、大口海岸は、その実家より比較的近かった。 練習のため、大口海岸を訪れて驚いた。海水面は波立 […]

ボデーボードの無料レッスン

ボードやウエットスーツを買ったコロニーサーフショップの女性オーナーが、無料レッスンをしてくれる日が来た。 場所は、芥屋の海岸だった。私の他に、若い女の子が二人一緒だった。ウエットスーツはスプリングだったが、自分のウエット […]

ボディボードとは出会っていた(ハワイ)

 ボディーボードを、コロニーサーフショップで薦められた時、初めてボディーボードを見たと思っていたが、どこかで見たことがあるような気がしていた。旅行の写真を整理していた時、その理由が分かった。  結婚し、長男が生まれ、夫婦 […]

マムシ事件

 マムシに噛まれそうになったことがあった。  まだ、小学校に上がるかどうかの年頃であったと思う。  家の近くの山を登った海外沿いのヤブの中だった。野イチゴを探しにいったかどうか、何故そこに行ったかよく覚えていない。  T […]

溺れかけた事件

 「足が着かない!」  僕は、そう思った瞬間、手足をバタバタさせてもがいた。少しは泳げるかと思っていたが、そうはいかなかった。  溺れるかも知れないと思ったかどうかも記憶が曖昧である。  その時、誰かが素早く飛び込んで来 […]

大ケガ事件

 「あつ!」と思った時は遅かった。  僕は、石積の岸壁の上から、潮が引いていたダンべ川に落ちた。高さは、4~5mくらいあったと思う。  まだ小学校に上がる前の頃だったと思うが、1軒隔てた家に住んでいた二つ上のO君と、岸壁 […]

ヤマドリ・キジの目撃と追いかけ

 家から小学校へ通う道は、二通りあった。  一つが山道と呼ばれていたもので、昔から使われており、小山の中に昔からある人道で、家のある集落と小学校のある集落を結んでいた。もう一つは、海岸道で海岸沿いに集落と小学校のある集落 […]

ゴム銃(木製パチンコ)遊び

 ゴム銃は、小鳥などを獲るために使っていた。  まずは、自分用のゴム銃を作ることから始める。山に入っていき、ドングリ(樫の木)の枝、丁度同じくらいの大きさの枝が二つに分かれている部分を、小刀(肥後守)を使って切り出す。そ […]

竹鉄砲遊び(ハゼまけ)

 竹鉄砲は、子供のけんか遊びなどに使っていた。  メダケを切ってきて、筒部分と押し棒部分を作り、木の実や新聞紙を丸めた玉を空気の力で打ち出すのだ。空気が漏れると上手くいかないので、新聞紙は水に濡らしてから丸めていた。そん […]

船上での物々交換

 僕は、T叔父の釣りに同行していた。  その日は、風が強く時化模様であった。そのためか、少し早めに帰るようにしていたと思うが、叔父の船の船着き場に戻る途中だったと思う。  急に、一艘の別の船とすれ違うようになった。昔だか […]

ウベ採りとカズラ島

 僕らは「ウベ」と呼んでいたが、正式名は「ムベ」である。宮中に献上されている伝統的果物とされており、果肉部分は甘くてアケビよりも味が濃いように思う。熟した頃の赤~濃い紫になる皮の色も大変美しい。食べる部分は少ないが貴重品 […]

ポプラの木のセミ

 僕らの家族が住んでいた家——私にとってはタブの傍の家から引っ越した2番目の家であった——は、町営住宅の一つであったが、周囲はポプラの木で囲まれていた。  ポプラは、北海道大学の並木道が有名であるが、何故か長崎県の僕の田 […]

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